AIが進化しても文章力が必要なことは変わらない『20歳の自分に受けさせたい文章講義』

2019年8月5日読書・書評

先日ふとこんなことを考えていた。

作文は苦手だったし読書感想文なんて書いた記憶は一度もない。でも今は毎日数千文字をどうにか書いている。
考えてそれを伝える手段として文字を書く方法くらい学校で教えてくれればよかったのに。

年間100冊程度本を読み、Twitterパトロールが習慣なので、文字は読んでいるほうだという自負はある。しかしブログなど文章を書こうとするとなかなか筆が進まないということが起こる。書いている途中で自分で言いたいことが何なのかわからなくなってきたり、なんとなく読みにくい文章に感じることがよくあった。こんなことを曖昧に思っているままでなにもせず数年が過ぎていた。今回「文章の書き方」を学んでみて、もっと早く文章の学習をしておくべきだったと反省した。

文体=リズム=論理展開

文章には読みやすいものと読みにくいものが存在する。どこかで「文章はリズムだ」と聞いたことがあるが、ではリズムとはなんだろうか。おそらく読者はいつも音読をするわけではないので、声に出して読んだときの読みやすさではないはずだ。『20歳の自分に受けさせたい文章講義』ではリズムは「論理展開」によって決まると主張している。

正しい論理展開をするために最も重要なことは、正しい接続詞を選択することである。この接続詞が適切でないと読者はスムーズに文章を理解することができずに読むペースを乱されることになる。これがリズムを悪くする正体だった。

文章力は思考力

「頭のいい人は文章がうまい」となんとなく感じていた。文章力には論理的思考力が露骨に現れる。話しことばであれば、表情や身振り手振りによって内容を補足することができる。しかし文字や文章ではそれができない。

話しことばや会話というのは、話しながら考えて考えながら話すことが可能でである。しかし文章の場合は言いたいことを明確にした上で、それを文字だけで伝えなければならない。論理におかしな部分があれば、説得力は低下し読者は離れていく。文章は会話と異なり受け手のリアクションをリアルタイムで確認することができないので、誰でも一度で正しく理解できるものにする努力をしなければならない。

文章力の価値は上がり続ける

人間が文章を書くという行為は、テクノロジーやAIの進化によって減っていくのだろうか。

まったくそんなことは思わない。むしろ文章を書く機会は増え続けるだろう。現在でも数年前と比較すると、メールを書いたりLINEでメッセージを送ったり資料を作ったりと文章を書く機会は明らかに増加している。

文章力は本やブログを書くときだけ必要になるものではない。文章は企画書の構成を考えることにも、YouTubeの台本を作る際にも必要になるのである。文章力とは人を納得させて行動を促すためのものであるので、そう簡単に価値は下がらないだろう。AI/機械学習が進化しても、頭でぼんやりと考えていることを正確にアウトプットしてくれるようになるのはだいぶ先のことだろう。またはそんな日は来ない。

恥ずかしくても書かないと上手くならない

文章力は勝手に身につくものではないし、本をたくさん読んだら書けるようになるものではないだろう。もし読んだだけ書けるようになるのであれば僕の文章はめちゃくちゃおもしろいはずである。

そうではなく確実に訓練が必要で、下手でもアウトプットしなければならない。ブログでもnoteでもTwitterでもいいので、書くというアウトプットが必須になる。

書かなければうまくならないが、年齢を重ねるごとに恥ずかしい体験は避けたくなるものである。そういった意味で若いうちに文章の書き方を体系的に学ぶことと、アウトプットをしておくべきだった。

今回参考にした本はこちら↓

文章についてはさらに学ぶところがあると感じたので、これらの本もまとめて注文してみた↓

2019年8月5日読書・書評