【書評】「センスのいらない経営」データと知識で意思決定をする

2018年9月19日読書・書評

センスのいらない経営

センスのいらない経営

GunosyCEO福島さんによるテクノロジーの歴史から機械学習までを一通り解説しながら、テクノロジー時代の働き方やGunosyの経営観、福島さんが始められたブロックチェーン関連企業LayerX(レイヤーエックス)に言及する本。

テクノロジーは人をセンスから開放する

この場合のテクノロジーはデータに置き換えられると思うんだけど、なぜテクノロジーが発達するとセンスから開放されるのかというとテクノロジーは再現性が高いからということ。今まではセンスという工夫された努力で見えにくくなっていたものがオープンソースと情報化で誰でもチャレンジができるようになっていて、寿司職人は10年修行が必要だったかもしれないけど1年くらいでうまい寿司を出せるくらいまでは技術の習得が短縮できているし、スポーツだって地域のおっさんに習うよりプロの動画や解説を見たほうが圧倒的に早い。医学なんて特に共有されたデータや知識があれば過去から現在ほどの聖職感はなくなるんじゃないですか?医者は30年後も安泰なんて考え結構危ない気がしますよ。 

グノシーの歴史

Gunosy創業から現在のユーザーを獲得して次の構想までも説明してくれているんだけど、本の中にあったニッチなサービスから社内の反対もありながらもマスをとりにいく決断をするところが個人的には興味深い。確かサービス当初は「その人に合ったニュースを機械学習を使ってメールで送るよ」というサービスだった気がするんだけど当時技術的なことはなにもわからずスゴイ!と思ってた記憶がある。それから少ししてニュースポータルのアプリになったときに全然おもしろくないサービスになったなあと感じたユーザーのひとりだったんだけど、どんな経緯でそういう判断になったのかとか少し感じられたりそもそも事業でやるんだったらそりゃそうですよね。

テクノロジー時代の仕事のしかた

テクノロジーが最重要な時代にどうするかってことで「手数の多い人が勝つ」というのを上げられているんだけど、これはデータに基づいた小さな改善をどれだけできるかで、これを「積み上げていく」ことに意味がある。前例や慣習をデータやテクノロジーベースで書き換える能力は役に立ちそうです。

「センス」とは?『センスのいらない』とは?  

ちょうど最近水野さんの『センスは知識からはじまる』を読んでめちゃくちゃ勉強になったとこだったのでここともリンクしていた。『センスは知識からはじまる』ではセンスは知識の集積であって、センスとは数値化できない事象を最適化することと言っているんだけど、知識(のなかでもデータ)で判断できることは悩んでないでテクノロジーに任せるべきだよねってこと。

センスは知識からはじまる

センスは知識からはじまる

それって判断なの?意思決定なの?

日々の行動にすごく役立つなと感じたのが、それは判断なのか意思決定なのかということ。判断ってのは検討材料がある程度揃っていてデータで機械的に選べることであって普段意思決定だと思っていることの大半はほぼこっち。一方、意思決定ってのは材料が揃っていなくても決めなければならないことで普通に生きていれば実際あまりないこと。「営業で何を話そうか」も「企画書をどう作ろうか」も過去の経験とデータで判断可能な部分で、「どういう生き方をしようか」とか「誰を採用しようか」などが意思決定部分の比重が高い分野なんじゃないでしょうか。

「人は1日にできる意思決定の量は決まっている」を真に受けて毎日着る服も食事もほぼ同じ私ですが、普段「意思決定」だと思っていることをできるだけデータで判断できる「判断」にする癖をつけると問題解決の速さも質も上がりそうですよね。

ネットやITってのが業界で働く人だけのものではなくなったのと同じように、テクノロジーや機械学習ってのはプログラマーとかエンジニアだけの話ではない。すべての職種や企業に深く関わってくるものなので全員読んでおいたほうがいいんじゃないですか?

センスのいらない経営

センスのいらない経営

2018年9月19日読書・書評